かつて、70~80年代にかけて見られた、リーゼント・変形学生服・特攻服・改造車などに代表される文化を好んだ若者は「ヤンキー」と呼ばれました。当時、そのようなヤンキー文化は「バッドテイスト」(悪趣味)なものとみなされる社会の周縁的現象であり、いまやほとんど見ることができないものになっています。
しかし、90年代にコラムニストのナンシー関は、ヤンキー的な資質をもつ芸能人やミュージシャンに人気が集まり、それらが神格化される当時の消費傾向から、ヤンキー的美意識が日本人のセンスに染みついていることを指摘していました。
また、精神科医の斎藤環は、いわゆる「不良文化」にはとどまらない現象として「ヤンキー」をとらえ、それを「気合主義」や「反知性主義」といった視点から分析しながら、その意味での「ヤンキー性」が、現在、ひろく日本人の中に宿っていると論じています。ヤンキー性は日本文化を構成するひとつの原理として、消滅するどころか、様々なものにかたちをかえて日本社会の随所に偏在しているというわけです。もしそうであるならば、「ヤンキー」とは、いわば日本人を映す鏡であり、私たちはそれを自分とは無関係なものとして無視することはできません。
その一方で、ヤンキー性は、自己存在の強烈な主張、権威や常識、既成概念に対する反骨精神、融通無碍で自由な編集性といった性質によっても特徴づけることが可能であり、それは独特の形象を生み出す創造性として発現しています。極端に変形され巨大化した車や過剰に装飾された衣服などに見られる表現は、単なる自己主張にとどまらず、自らをとりかこみ決まった型に入れようとする力に抵抗し、それを突破していこうとする態度のあらわれとみることができるでしょう。そして、ヤンキー文化に見られる独特な文化折衷的表現は、古今東西の多様な価値観を肯定し受け入れることのできる態度からのみ生み出されるものと言えます。
そこで本展では、一般的には、否定的理解のもとにおかれてしまう「ヤンキー」文化を肯定的にとらえ直し、超精巧なデコトラのミニチュア、デコチャリ、ブチ上げ改造単車、ド派手な成人式の衣装、金色の折り紙を使った「黄金」の茶室、相田みつをの書など、自らを表現せずにはいられないその精神から生み出される自由で生命力に満ちた表現をご紹介致します。本展を通じて、ヤンキー的表現に宿る刹那的で爆発力ある生き様や、そこから放たれる世の中をたくましく生き抜く仏恥義理(ぶっちぎり)のパワーを感じて頂ければと思います。ご高覧、どうぞ夜露死苦!
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